2010年11月28日日曜日

グループシンクの罠

久しぶりにMBAネタです。今回のテーマは「グループシンク」についてです。グループシンクとは集団の判断ミス、集団の意思決定の弊害です。外部からのプレッシャーや思い込みから客観的な判断ができなくなることです。会社で言えば、予算を達成させるため、売り上げ必達のプレッシャーから冷静な判断ができず、後で重大なトラブルになってしまうような感じです。(用語についてはこちらでどうぞ)

今回のケースは、1991年のスペースシャトル・チャレンジャー号の悲劇です。あの衝撃的映像を覚えている人も多いと思いますが、事故はグループシンクによってもたらされた人災ともいえます。

事故の原因はOリングと呼ばれる部品の不具合でした。エンジニアはこのOリングが12℃以下の環境では使用に耐えられない可能性があることを指摘していました。しかし、上層部はこの進言を無視して発射させた。結果として事故が起きてしまいました。本来は安全に飛ばすことが最重要であったのに、度重なる打ち上げ延期、国民からのプレッシャーなどがあり、何としても飛ばさなければならないという状態になっていた。つまり、100%安全だから飛ばすとならなければならないところが、100%事故が起こるとは限らないから飛ばすとなってしまったのです。

私たちも多数決で決めた意見や専門家が集まって決めた意見は絶対だと過信してしまうことがあるが、このみんなが思い込んでしまう状態が本当に危険なのです。このグループシンクは前兆があり、次のような症状が出たら黄色信号です。


①集団による自己過信
②自集団の大儀名分
③自己の行動の正当化
④外部勢力への固定観念
⑤自己検閲
⑥少数意見への圧力
⑦マイナス情報の遮断
⑧全員一致の幻想

このようなグループワークに陥らないためにはどうすればいいのかといえば、ずばり「リーダーの存在」です。ではそのリーダーに求められる事とは次のような要素です。

・オープンな環境をつくる
・外部の意見に耳を傾ける
・メンバーの相互評価
・支配的態度の回避

もちろん、リーダーだけでなく、メンバー自身もこのようなことを認識する必要はありますね。


このグループシンクの罠は多くの人が経験しているでしょう。会社ではみんなが会社を良くしたい、会社に貢献したいと思っている。スポーツのチームではみんなが勝利したい、チームに貢献したいと思っている。それにもかかわらず、なぜかうまく機能しなかったり、衝突したり、結果として意図した方向とは違う方向に行ってしまったりすることがあります。このような時、もしかしたらグループシンクに陥っていないか一度振り返ることが重要なのでしょう。


ちなみにグループシンクという言葉はこのようなネガティブなケースで用いられる言葉で、いわゆる集合知のように「グループシンクによっていいアイデア浮かんだ」などという風には使われない言葉とのことです。


【チャレンジャー号爆発の瞬間】

2010年11月22日月曜日

「認知限界」という言葉

最近「認知限界」という言葉について考える機会がありました。そしてこの「認知限界」という言葉から次のようなことを学びました。

■人間の能力には限界がある
まずひとつは読んで字のごとく「知ることの限界」という意味での「認知限界」。これは僕たち人間が覚えることができる人数は150人までとか、インターネットによって情報が溢れているが、すべてを処理することができないという話で引用されます。ちなみに組織論でいうと8人以内、30人以内の法則というのがあるらしい。一人のリーダーが認知できる限界は1チーム8人以内で全体で30人以内という法則です。まとめると、人間に限界があるということを認識した上で行動するということ。雲をつかむようなことをしても何も得られない。最適基準ではなく、満足基準を目指した方がいいという事です。

■限界なんてものは思い込みに過ぎない
もうひとつは「限界を決めているのは自分自身だ。そんなものは思い込みに過ぎない」。例えば陸上競技で100メートル走の限界は10秒だと言われていた時代があった。しかし、一人の人間がその壁を破った瞬間、それに続くものが複数出る。つまり、誰かがハードルを乗り越えた瞬間、「あいつにできるなら俺にもできるだろう」となるのです。

これは面白いですよね。ひとつの言葉に「自分で限界を決めるなという一方、自分の限界を知り己を知る」という背反するものが同居しているのです。そしてどちらの意味も僕たちに多くの気づきを与えてくれます。このように世の中にはひとつの物事でも違った見方あります。例えば「円高」では、輸出企業にとってはダメージですが、輸入企業にとってはプラスです。つまり、ここで言いたいことは物事を考える際は片方からではなく、もう片方からも考えなければならないということです。

今回は「認知限界」という言葉からこんなことを考えてみました。

2010年11月18日木曜日

第4回事業創造カフェ参加しました

昨日成長縁大学「第4回事業創造カフェ」というセミナーに参加しました。きっかけが何かは忘れてしまいましたが、多くの気づきが得られました。これも何かの縁ということで主催者の方には感謝申し上げます。

それでもやはりベンチャーが必要
さて、講演は元ライブドア社長の平松氏の話から始まりました。アメリカの宇宙ステーション開発は国家プロジェクトではなく、民間でやっている。さらに民間というのはボーイングやGEといった巨大企業ではなく、社員100名前後のベンチャー企業が担っているという話でした。翻って日本では民間といっても三菱重工のような超巨大企業が一部を担っている程度です。さらに驚いたのは投資するのはインベストバンクではなく、資産を持つ個人が投資しているという事です。

僕はこの話を聞いて「アメリカの底力はここにある」と思いました。起業家がベンチャーを創設し、そしてその起業家が次の起業家に投資をする。こういったサイクルが出来上がっているからベンチャー企業がタケノコのように次から次へとでてくるのだろう。その中からグーグルやフェイスブックのような企業が出てくる。まさにイノベーションのサイクルだと感じました。日本ではベンチャーに対する価値観やリスク許容の問題があり、このようなサイクルが生まれにくいが、それでもやはり起業家精神を持ってチャレンジする人が増えれば日本も元気になるのではないかと思いました。


そしてオウケイウェイブ兼元社長からはたいへん熱い話を頂きました。 
■予定調和・自己未来予測
これは非常に大切な考え方で、すべては自分が思った以上にはならないということです。将来こうなるだろうと考えなければ、それは実現しない。つまり、最初から~できないと考えるのではなく、~できると考えなければならない。このような思考を持たなければならないということです。

すべてをさらけ出す
そして、兼元さんに初めてお会いして感じたのはなんてオープンなんだろうという事です。意見や笑い方すべてがオープンなのです。そこで僕が感じたのは「すべてをさらけ出すことで自分を変えることができるのではないか」ということです。兼元さんは自分の小学生時代のいじめの体験やホームレスの経験などすべてをさらけだしてます。もし自分が同じような経験をしていたら恥ずかしいし、周りの評価を気にして絶対公表しないと思います。そう言った小さなプライドのようなものを捨てて、もっと大きな視野、目標を掲げた時、今まで見えなかった境地が見えるようになるのではないかそう思いました。そしてこのオープン性が兼元さんの人間的魅力だと感じました。

■とにかくやる
起業する際にどのようにチームメンバーを増やすのか?と質問した際、自分は命を掛けてもこれをやりたいと思う事。そして、片っ端から声を掛けろといわれました。100人に一人の確率ならば、1人に断られたら99分の1になるのでそれは前進になるからとアドバイスを頂きました。とにかくやる。とりあえず旗を立てろ。と熱い言葉を頂きました。

その後ワールドカフェ形式で「グーグルを超えるサービス」をテーブルディスカッションを行いました。偶然か必然か一緒になったメンバーの方にも恵まれ、たいへん有意義な議論ができました。今年も様々なセミナーや勉強会に参加してきましたが、参加者の志も高く、すばらしいイベントでした。次回また参加したいと思います。

では。


事業創造カフェは月一でイベントをやっているようなので興味のある方はぜひ。
▼こちら
http://www.seichoen.net

2010年11月15日月曜日

私のソーシャルビジネスの定義

久しぶりに修士論文のテーマでもある「ソーシャルビジネス」についてのエントリです。

今般、ソーシャルという言葉はブームとなりつつあり、いたるところでソーシャルなんちゃらという言葉を聞くようになっている。このブログもまさにそこからスタートしたもので、ある意味ブームに乗ったチャラいブログとも言える。(まぁ、本人がチャラいのだから当然と言えば当然だが)

ということで今回は「ソーシャルビジネス」についてですが、これを定義するのが本当に難しい。なぜなら国や地域によっても違いがあるし、社会によっても違うからです。尊敬する田坂さんもおっしゃてますが、そもそもビジネス(企業)とは社会貢献のために存在するのだから、ソーシャルビジネスと言う言葉が存在するのはおかしい。これは白鳥を「白い白鳥」と二重形容しているのと同義であると思います。何十年後になるか分かりませんが、ソーシャルビジネス=ビジネスとなった時、つまり、ソーシャルビジネスという言葉が使われなくなった時、社会は少し良くなっているのではないかと思います。

さて、本題に入りますが、日本におけるソーシャルビジネスの定義は経済産業省により設置された「ソーシャルビジネス研究会」の定義が一般化しています。
▼こちら

要約すると、ソーシャルビジネスとは「ビジネスの手法により社会的課題を解決する事業で、社会性・事業性・革新性を兼ね備えていること」となる。

さらにこの議論を行うと必ず出てくるのが「収益」についての話です。「ソーシャルビジネスとは収益を配分しない事業」と定義する説もある。しかし、僕はこれには反対です。ソーシャルビジネスだからといって収益を株主に配当してもいいと考えています。僕の考えは、一般企業は収益配当してもいいが、NPO・NGOは配当しないという立場です。なぜなら、NPOのノンプロフィットとは利益を求めないという意味ではなく、配分しないのがNPOと考えているからです。

そこで私のソーシャルビジネスの定義は次の2つの尺度を追加したものになります。ひとつは社会への影響度、もうひとつは社会からの共感です。簡単にいうと何らかの形で世の中の役に立ち、社会や消費者から応援されるビジネス(企業)がソーシャルビジネスであると定義しています。(図1)









私の定義をまとめると下記の図のようになります。




先述のとおり、本来、企業は社会のために存在するのだからソーシャルビジネスなんて当たり前のことを言うなと思う人もいる。しかしながら、行きすぎた資本主義と言われるように社会全体が疲弊しているのも事実である。このような歪みを是正していくためにはやはり、ソーシャルビジネスの概念を広めていくことが必要であると思います。

2010年11月4日木曜日

経営とマラソンの共通点

昨日、那須塩原ハーフマラソンに参加しました。年に4回くらい市民マラソン大会に参加してますが、今年は夏の大会が中止になったので久々の大会になりました。タイムは1:52:03なのでいつも通りでした。寝不足、体調不良だったのでもっと遅いかと思ったけど、スポーツタイツの効果で楽に走れました。これは高いけど、ホントにスゴイですね。

さて、今回も走りながら色々なことを感じたり、考えたりして走ったのでそれを書いてみようと思います。

やはり考えることと言えば、今は「起業」。と言うことでマラソンと起業についてです。

よくマラソンは人生に例えられますが、起業や経営にも通じるものが多くあります。

最初に大会準備をしてくれる方々はVCやアドバイスをくれる人たちのような存在です。彼等がいなければスタートするのは難しいでしょう。また、沿道で応援してくれる人はお客様のような存在です。お客様の喜びに励まされるように沿道からの声援は本当に嬉しいものです。そして他のランナーたちは業界のライバルのような存在です。彼等と切磋琢磨することで自らが成長できる。結果、よいサービスを提供できる。このような循環になるにはライバルが必要ですね。

最後にやはり人生論になりますが、マラソンから感化されることは多いです。本当に苦しい時やランナーズハイの状況もあり、まさに「人生楽ありゃ苦もあるさ」って感じです。とにかく一番大切なことは、諦めなければ必ずゴールに辿りつけるということだと思います。

ということでこれからも走り続けたいと思います。


・大会準備をしてくれる人⇒VCやアドバイスをくれる人、メンターなど
・沿道で応援してくれる人、ボランティアスタッフの人⇒お客様、会社を応援してくれる人
・他のランナー⇒ライバル企業